饗宴の後の長い沈黙

09/01/2002
by Elders International

トルコのエフェソスを訪れる機会があった。エフェソスとは新約聖書の「エペソ人への手紙」とある、あのエペソのことである。エフェソスの歴史は紀元前2千年に遡るというから驚く。こんな古代都市エフェソスは富と繁栄に酔いしれた人口25万人の、ローマ帝国の統括するアジア州の州都として増々栄えたという。しかし、度重なる異民族の攻防にふみにじられ、饗宴に明け暮れた栄光の都市エフェソスはやがて塵土に埋もれていったのである。近年の発掘調査によってほぼ全域のエフェソスが明らかにされると、その中心部は大理石で舗装された大道路があって立派な遊廓の建物跡までもが確認されたのである。
紀元一世紀、エルサレムでイエスキリストが処刑され、キリスト教徒への弾圧が強化されると使徒ヨハネはイエスの母マリアを守ってこのエフェソスへ逃れたという事実を不信仰な私は初めて現地の人に聞いた。たまたま私はこのヨハネという人の書いた「ヨハネによる福音書」や「ヨハネ黙示録」が好きなので余計に私の不勉強を恥じることになった。というのは、なんと「ヨハネによる福音書」はこのエフェソスで書かれたということ、そして「黙示録」もこのエフェソスにありながら弾圧にあって一時島流しにされた地中海の島「パトモス」で書かれたものだという。

ヨハネの予言のように繁栄にも終わりがくるし、饗宴も必ず幕がおりる時がくる。古代都市エフェソスが塵土に埋没したように、巨大都市ローマ帝国さえもが崩壊した。いってみればすべては堕落と退廃が原因だ。
戦後の日本人が好んで口にする「平和」という言葉は聴く人の耳の心地よさを計算した狡猾さが潜んでおり、実際には直面する課題を回避し何の義務も果さず遊びほうけるという意味がある。だから、今日堕落と退廃は当然のことだった。それは丁度繁栄を謳歌し、グルメに明け暮れた食生活が必ず病気につながるのと同じことだ。話は日本に限らない。アメリカではシカゴも、ボストンも、ニューヨークも、歩いてみれば夜中の12時を過ぎても連夜グルメと酒の狂乱は続き繁栄の堕落と退廃は始まっている。
つまり視点を変えれば、実に何十万、何百万の人が飲み食いに明け暮れるのがIT情報先端産業の実態といえなくもない。こんなものがいつまでも続く訳がない。
思い返せば日本人はITではなく不動産の狂乱に沸いていた。
しかし、いずれにしろ日本もアメリカも終わってみれば全ては一夜の夢だったということになるかも知れないのだ。

エフェソスはヨハネが聖母マリアを介護して自らも生涯を終えた地である。
しかし、ヨハネの書き残した黙示録には欲望と堕落によってもたらされるこの世の最後の日が予言されている。
最後の日には天空から無数の星が火となって落ちてくるという迫真のシーンが登場する。ITの先端技術というものに命運をかけるなどとどこかの首相が言ったが、空を飛ぶ人工衛星を打ち落とすという戦争が勃発すれば何百、何千という衛星は落ちてきてこの世はヨハネの言う終末を迎えるのだ。
日本はすでに狂乱の後の長い沈黙の中にいるが、このままエフェソスのように塵土に埋もれるかも知れない。グルメと美酒に酔うアメリカもやがて病気の山が築かれるだろう。アメリカの癌は、そういえば最近死因の2位から1位に返り咲いたという。

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