ガン - この栄養欠乏症の悲しみ

07/01/2002
by Elders International

「ガン―この栄養欠乏症の悲しみ」の「悲しみ」というのは、読者のみなさんには納得のいかない表題だと思っておられることでしょう。
何が悲しいのか、まず、その点からお話を進めます。

もう何年も前のことです。 ある病院長がガンになり某医大に入院しました。化学療法のため身体中の毛は抜け去り、意識は混濁し、見る影も無い状況となったのです。世間で言うところの、超一流大学の医学部の出身で、楽しい青春時代を共に過ごした奥さんも半狂乱となりました。 まことにそれは同情を禁じえない姿だったのです。
ある日、紹介者があって、その奥さんとお会いする事になった私の率直な感想は、まず第一に、彼女も他の一般の主婦と同じように、まったく健康を保つ食事ということは何か、について知らない事。 第二に、これまた大多数の人たちと同じように「栄養学」について何も知らない事。 第三に、同じ医者であ る息子さんも、又、何の栄養学的知識を知らない事。 第四に、病気の治療に果すべき食事内容の役割すら信じていない、ということだったのです。
これはどういうことか、と言えば、「健康と食事の関連などは知らない」つまり、「健康と食事は無関係」だと思って生きて来られたわけです。 このご家族が中心となって経営している病院は、かなりの規模の病棟をもつ大病院ですから、沢山の入院患者もいるのです。 院長も、息子さんであ る副院長も、このような認識しかもってないわけですから、他の大多数の病院も同じような実態だと言えるのでしょう。
奥さんが言いました。 「先生、よろしければ医大に入院中の主人を見てくださいませんか」そして「主人が助かるものならばどうしても助けたい」「先生が沢山のガン患者を救っていると聞いていますので、助かる見込みがあ るか、ないかだけでも教えて欲しいのです」涙を拭いていました。 後で知った話ですが、「この奥さんの趣味はゴルフで、ゴルフ場では、それは女王様のように振る舞い、いつもアシスタントプロを同伴してプレイしている。 それはもう大変な人ですよ。他人に頭を下げて何かを頼むなんてとても信じられない。」 こういう評判の人だった訳です。
私が病室を訪れた時、それは「悲しみの極み」とでも表現しなければ表現しようのないような光景が目の前に突然迫ってきたのでした。 私には一瞬、死体が安置されているように見えたのです。 その人間の両眼は半開きとなって天井を見ているようでした。 抗ガン剤のため骸骨のようにやせこけて、頭髪も、眉毛もすっかり抜けて無くなっていました。それはまるでミイラのようでした。
「先生、先生が話しかけても主人はわかりません。何も見えないし、何も聞こえないんです。 でも、これが主人なんです。」 奥さんが私に言いました。 私は返す言葉もあ りませんでした。 只、あまりの光景に呆然と立ちつくしていただけでした。
「先生、主人は助かるのでしょうか。教えて下さい。先生の正直なご意見が聞きたいの。主人はどうせ聞こえないんですから。」
病室を出て、私は心の中で、どう話したらいいのか、懸命に答えを捜していました。乱れきっている人の心がどうしたら静まるのか。 残酷な答えをどうしたら温かい言葉に置き換えて話すことができるか。 しかし、ノーという結論はどうあ がいてみてもイエスにはならない筈です。 私の胸の鼓動が時間を刻むように鳴っていました。 私の迷いとは全く別の処で、まるで事務的な言葉が口を突いて出ていました。 「希望は持てないと思います。」 しばらく重苦しい沈黙が流れました。
「いくらかでも生命を延ばすこともできないでしょうか?」
「あなたが奇跡を信じるなら、そして実行を約束していただけるなら、私からの提案は用意できます。」
私の提案というものは、「ガン患者に決定的に欠けている栄養素蛋白質、ミネラル、ビタミンそして私の開発したM10-8S・Sによる免疫力の強化という栄養投与法だったのです。
やがて本当に奇跡が起きました。病院長は急速な症状の回復をみせました。 そして退院したのです。

仕事に復帰した病院長は、次第に一種の職業意識と自尊心に目覚めました。 「自分は最先端の西洋医学を修めた医学博士であ り、何やらとわけのわからない栄養療法とか漢方薬まがいの療法でガンが克服できるわけではない。 私の回復の原因は、間違いなく医大の先生方の治療の成果であ り、西洋医学の成果なのだから、もうこういうわけのわからないものを摂る気にはなれない」という思いが日増しに大きくなっていき、栄養療法は完全に止めてしまったのでした。 私がこうした病院長の意見をあ る第三者の口から伝え聞いてから二〜三ヶ月が過ぎました。 訃報が届いたのはその頃 です。
亡くなったという報せと共に、病院長が生前趣味で書いていた油絵を印刷したテレフォンカードが添えられていました。 柔らかな色、淋しい静物、免疫力の弱い人が持つ特有の感覚が絵によく表れていて、私の悲しみも一層深かった事を今日も思い出します。

その「悲しみ」は今日も消える事があ りません。

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