五月のアスパラガス(2008年4月)

04/01/2008
by Elders International

二人で生きること。

万葉集に「彼方(おちかた)の赤土(はにう)の小屋にひさめ降り床さえ濡れぬ身にそへ吾妹(わぎも)」という歌がある。(万葉集 巻十一)
心して読もうとすれば誰にでも大意はわかるものだが「赤土でぬり込んだ粗末な小屋。氷雨が吹きこんできて寝床も濡れてしまった。さあ、もっと私の近くへ来なさい、暖めてあげるから、わが妻よ。」
イラン、イラクそしてアフガニスタンなどの中東諸国に似て、日本の古代の家屋も泥を固めて作られた赤土(はにう)の粗末な家で、後にこれが「埴生の宿」という歌に読まれたのだった。しかし、そんな粗末な家に住んでも何と心暖まる二人の暮らしであることか。

二人で生きたい、ということ。

先日カリフォルニアのあるご婦人から電話があった。
夫は肺ガンであり、幾度もあちらの専門医、こちらの病院へと行って詳しい検査を受けろ、とタライ廻しにされて、ようやく近く手術を受けることが確定したという。しかし、手術を受ける身であるに拘わらず、このご婦人の悩みは夫が酒も止めず、ステーキを食べ続け、乱暴で、少しも言うことをきいてくれない人だというのだ。聞いているうちに私はなかば呆れて、腹が立ってきた。そこで私は「一体あなたは何を私から聴きたいのか。毎日ステーキも欠かさず、一日3回ウイスキーをのむ人がガンの手術を受けても常識的には治癒する見込みは考えられない。あなたも内心ではご主人が亡くなってもいいと思っている筈だ、とつい言ってしまったのだが、彼女は“私は手術も反対だけれど主人が手術を受けるということ。言い出したらきかない人だから手術を受けるができる限り手術による後遺症、薬剤治療の副作用などを防げるようにサプリメントを摂らせたい。
こういう人だからサプリメントなんか素直に摂りませんから、本人が気付かないような食べものに姿を変えて与えるというような方法はないものでしょうか?”という話だった。いつも、いつもご婦人を困らせてきた、この男の生命を今はどうにかして救いたいと念じていることが痛いほど伝わってきたのだった。つまり、ご婦人は夫を愛しているのだ。
私は「奥さんの言うこともきかない男なんかどうでもよいではないか」となかば思いかけた自分が恥ずかしくなった。
「4月のアスパラは私が食べる。5月のは主人にやり、6月のはロバにやる。」というスペインの古い諺のようにほんとうは美味しく滋養によいものはまず第一に夫に食べさせるのが妻の愛なのだと思い知らされたのだった。

免疫ダンゴという名の驚異のサプリメント

特殊なサプリメントだと悟られず知らず知らずについ食べてしまうような免疫強化剤を考えてくれまいか、という彼女の願いは実はすでにハワイの85才の大腸癌のご婦人にも召上っていただいてその驚くべき効果は、仲ば立証されていたので「同じものを試されますか」との私の質問にぜひお願いしたいとのことだった。
その詳細をここには記さないが、それはニューヨークの癌専門医Dr.ファーシャインの提唱してる肺ガン、肝ぞう癌に特効を有するNACとグルタチオンである。次にセル・サポート。そして、次に愈々本命の“免疫ダンゴ(ペイスト)”である。それはまず80種類の果物、野菜、穀物を醗酵させたメタボリック・エンザイムの決定版、「M10-8 PA(別名・天使のパン)」をスプーンに1杯、市販のきな粉を同じくスプーン山盛り1杯、そして今度はキトサンとN.アセチルグルコサミンオリゴ糖をスプーン半分。これら3つの材料をオリーブオイルでよくかき混ぜるとでき上る。好みに応じてウルトラ・グリーンという野菜パウダーを更に混ぜてもよい。オリーブオイルは多すぎてはいけないので豆乳などを加えてもよいだろう。
これで柔らかいペースト状か、ダンゴ状のものができ上る。トーストに塗りつけてもよいし、そのまま口にしても非常においしい。それはまるでグルメレストランの格別の秘伝ペーストともいえる程だ。
そして、あとは何もない。ただ、“免疫ダンゴ”を1日2回か3回食事として召上っていただく。これだけである。

一人で生きること。

ハワイの独り暮らしの85才の老婦人からの電話。腸ガンで更にガンは肝臓にも転移しており、医師は「あなたは3〜4ヶ月の寿命、長くてあと半年の生命だから私は何もできない。今更手の施しようがない」と宣告されたのだという。
ガンは腸を圧迫し、やむなく腸管に人口パイプを入れて便通させているということだった。「医師は手の施しようもないからといって一切治療をしてくれないが、私としてはたとえ何ヶ月でも延命の途はないのか、とご相談したい。」というものだった。
彼女が一体どんな人生を歩んで現在に至るか、ご主人はいないが、子供はいるのか、いないのか殆ど一切知らない。こういう時もニューヨークの有名医師ファーシャイン氏の奨める仕様によるサプリメントと私の“免疫ダンゴ(ペイスト)”が私の最後のカードだ。そして、僅か1週間が過ぎた頃、再度彼女からの電話があった。「前回、手の施しようがないといっていたドクターが、今度はガンが縮小して非常に経過がよい。これならキモテラピーに入っても良さそうだから、やろう。」言うのだそうです。抗ガン剤治療を受けてもよいでしょうか?と再度電話があったのである。
「あなたを見捨てたドクターはこれならお金がとれると考えたのでしょう。弱りきっているあなたはキモテラピーなど受けてはいけません」と答えた。

ピレモンとバウキスのように生きたい。

トルコの中央部の、フリギャという地方のある丘の上に一本のナシの木とカシの木が立っている。昔は豊かだったこの土地はなぜか今は沼地に変わっていた。
この村が栄えていた頃、ジュピターの神とその息子のマーキュリーが疲れた旅人に姿を変えて、この村を訪れた。
二人は一夜の宿を求めて一軒一軒まわったがどの家も二人を追い払ったのだった。何と思いやりのない村人かと神さまは腹を立てた。彼等が最後に訪ねたのはピレモンとバウキスという老夫婦の住む粗末な農家だった。
二人は旅人を迎え入れると炉のそばに座らせシチューとワインを出して「貧しいもてなししかできないがどうぞ召上って下さい」と言った。やがてピレモンとバウキスは旅人にワインを注いでも注いでも、すぐにボトルが1杯に充たされるのをみて、この旅人はきっと神さまに違いないと思った。翌日、神さまは老夫婦を慰めて「疲れた旅人を家に招き入れたのはお前たちだけだった。村には大いなる天罰が下るだろうが、お前たちは私たちについてきなさい。」といって丘の上に行くと、そこからは村全体が湖に沈み自分たちの家だけが神殿にその姿を変えて残っているのが見えた。
「心がけのよい老夫婦よ。お前たちの希みを言ってみなさい。どんな希みも叶えてあげよう。」
二人は考えて、「私たちはここで幸福に暮らしていましたから、これからもあの神殿の管理人にさせてもらえれば、あそこで死にたいと思います。死ぬときは私が妻の死を見なくてもすみますように。妻が私の死を見なくてもすみますように、と祈りたいのです。」
ピレモンとバウキスの願いは叶えられ神殿の管理人として永く暮らした。
その日も二人が丘の上を散歩して楽しく話し合っているとピレモンの顔や肩に緑の葉が落ちてきた。バウキスの顔や肩にも葉が落ちてきた。いつの間にか二人の身体に樹の皮が覆いはじめ、二人は二本の木になった。今日でもフリギャにはこの二本の木は立っている。

四月のアスパラガスはまだ早い。最も栄養に満ちたアスパラガスは五月のアスパラだ。六月のアスパラはもう古く、堅くなってしまっておいしくないからロバに与えよう。共に生きることは支配することではなく、従順であることだ。

この頃は政治家も経営者も、そして文学者までもが「共生」という語句をよく口にする。しかし、「共に生きること」は易しいことではない。ピレモンとバウキスのように生き、彼等のように死ぬことはもっと難しい。

コメント

投稿はありません

レビューを書く