まことに私たちは現実に起きていることを正しく認識し、その裏に潜む真実を察知する英知を失っている。身の廻りの小さな出来事から世界を動かしている大きな波動まで何一つ判断できないでいる。いつの間に、私たちはこんなに知性をすり減らし、洞察の眼を失ってしまったのだろうか。
昨年、東京の日本橋で開催された「円山応挙展」を観に行った。国宝の「雪松図屏風」が展観されるというからだった。一体、誰がどれ程の知性を駆使して決定するのかは知らないけれど、それが「国宝」だというある種の権威 と、円山応挙という名前だけで会場は満員だったのだけれど私の正直な感想は大きな落胆と同時に、非常に応挙とは異質なものを感じていたのだった。それは「これが国宝なのか」という落胆であり、国宝選定委員などという人間たちがいるのか、どうかは知らない。しかし、その責任者はほんとうにこの屏風画のどのような点に、どのような評価を与えて「国宝」と指定したのだろうか、という基本的な疑問であった。丁度小学生のころ、自分の間違った答えに対して期せずして「正解」を貰ったような、そんな不具合を覚えたのである。その選定委員は、応挙が恐らくは渡来人が多く住んだ兵庫県の円山川が日本海に注ぐ鉱山に生まれたことを知っていただろうか。その画才に恵まれた天才少年は大乗寺の和尚に見込まれて京都へ留学を果したことを知っていただろうか。
やがて頭角を現わした応挙は1,000人を超える門弟を擁するいわば京都河原町鳥丸の“応挙芸術大学の学長”ともいえる人となったことを知っているだろうか。そこでは応挙先生の作品を手本として学生たちの模写した作品が、いわば画学生によるコピーが、幾千となく市中に流出したことを知っているだろうか。
応挙の真髄は若き日から作品を送り届けて仕送りを得た大乗寺、別名応挙寺に無数のコレクションとして今も現存している。選定委員は、まさかとは思うが応挙の生誕地とそこに現存するコレクションも見ぬままに決定したのではあるまい。
しかし、このように考えを巡らせさえすれば「雪松図屏風」の他展示されていた2点の掛軸の方は共に一目で贋作とわかるものであった。それでも主催者は、千円を払ってやってくる来場者に対し、素知らぬ顔のままで応挙展は終了したらしい。ああ、尤もらしい豪華な展示会場の中で私たちの一人一人はいつの間にか水々しい感性も鋭い判断力も失ったのだ。それは、何かまるで「グローバルスタンダード」という名の会場に突然立たされて行き先を見失ってしまった「日本」そのもののようだ。「国宝」とか、「グローバルスタンダード」とか、「改革なくして成長なし」だとか、いつまでこうしたペテンは続くのだろうか。
さて、それは、すでにもう20年も前のことだ。日本の中都市の私立病院長で、超一流大学医学部出身の医学博士がガンになり某地方医大に入院したのだった。しかし、患者も、医師も、どんな学校を卒業していようとガンが治せないなら何の意味もない、ただの「勲章」にすぎない。
それは、国宝だといわれて、わざわざ高い電車賃を払って鎌倉から日本橋まで出掛けて行ったのに「観なければよかった」という失望を味わったのと同じように、一流大学が格別な治療法を用意してくれるわけではない。遺伝子研究でノーベル賞を受けた学者がガンで死んだ実話のように、「権威」で病気は治せないのだ。
案の定、院長は化学治療で全身の毛は抜け去り、意識は混濁し、見る影もない状態となったのだ。ベットに横たわるミイラのように瞳孔は半開きのまま天井を向き何の反応も示さない、といった状態だったのだ。独身時代は歌手だったという美貌の奥さんも半狂乱となったのだが、丁度、その頃紹介者の頼みで私はその奥さんとお会いすることとなった。
奥さんが言った。「先生、医大に入院中の主人に会って下さいませんか?お会いになっても本人は何もわかりませんけど、先生のお見立てで、主人が助かるものか、否かだけでも教えて欲しいのです」と。病室を訪問してから「希望は持てないと思いますが、もし奇跡を信じて実行すると約束してくれるなら、私からの提案は用意できます。」と私は答えて、早速サプリメントの特別なプログラムを開始することになった。
やがてほんとうに奇跡のように院長は元気をとり戻して退院し、自分の病院経営の職場に復帰したのだった。それは免疫用の特別なサプリメントで、S・O・D、カタラーゼ、グルタチオンなどの主成分からなるものとM10-8シリーズなどで調合したパケット入りであった。
しかし、元気をとり戻した院長は今迄どおりの「権威」の衣を着た院長に戻った。「自分は超一流大学の医学博士だ。私のガン回復は医大病院の治療の成果であって、何やらわけのわからない、漢方まがいの錠剤やカプセルで治ったわけじゃない。こんなものを続けていると知れれば病院長の名誉にもかかわる。」と言って、私の処方によるサプリメントは一切拒否することになった。奥さんからの電話をもらったが、私としてはそれ以上もうどうすることもできなかった。それから3ヶ月が過ぎた頃、院長が亡くなったとの報せを貰ったのだった。ああ、何ということだろうか。何が院長だ。何が名誉だ。何が権威なんだ。人間はなぜ真実を見ようとしないのだ、と私は叫んでいた。
ここでもう一つこんな話もしなければならない。
「一年前、父は胃ガンで胃の全摘出手術を受けて入院しています。以来、だらだらと抗癌剤の投与とその他の薬を摂り続けています。
現在の父は生ける屍状態で、60kgだった体重は40kgを割り込んでいます。何を言っても無反応で、まるで理科室の標本のように痩せこけて横たわっているだけです。家族もほとほと疲れ果てて気が狂いそうな状態です。口に食べものを入れるとつかえるらしく呑みこむことができません。プリンですらひっかかると言うのです。大学病院側は栄養剤のチューブを肩から入れるのを2日間ほどしましたが状態の改善もなく、これ程弱っているのにまだ抗癌剤を打ち続けます。
癌で死ぬ前に、これでは栄養失調で死ぬのではないか、と思うのですが、病院側の反応は冷たいもので、こちらが何か言うと面白く思っていない様子です。
現在、腹膜に転移している可能性があり、半年の命だろうと言われました。「来年には豪華客船でグアム、サイパンに行く」とうわごとのように繰り返す父ですが、周りから見ていてとても行けそうには思えません。でも、あと半年の命なら行かせてあげたい…さまざまなジレンマに家族は押しつぶされそうなのです。何かよい方法はないか、と探しています。どうかご助言ください。」
私の返信に対して再び次のような報告があった。「即時、今日か、明日に退院させられますか?」という鈴木先生の指示通り、私は翌日父を退院させ、すぐM10-8D・PとM10-8ハーバルティーを飲み始めました。そして、父は年末には遂に豪華客船でグアム・サイパン旅行に出かけたのです。奇跡というものを目のあたりにした思いです。あの日、あのまま死ぬかも知れなかった父が、今さし当たって再発の心配もないと言われたのです。
あの時、諦めて、もしインターネット検索をしてなかったら。もしHPにアクセスしなかったら。もし父が全くのみ込む気にならなかったら…あの頃、何度も父の葬式を出す夢をみて泣いたものです。今はありがたくて涙が出ます。」
まっすぐに「救われたい、病を克服したい」という気持ちは何ものにも代え難い。そこには治癒を阻害する権威や名誉や地位や体裁など一切ない。謙虚で、しかもただただ父を助けたいという気持こそ国宝よりも、ノーベル賞よりも遥かに貴重だと思うのである。すべてホームページに収録している実話である。