イエスの死後、イエスの使徒ヨハネは遠くエフェソの地へ聖母マリアを伴って逃れ、100才近くまで生きたとされる。今もマリアの住んだ館跡が教会となって残っている。
12使徒の1人ヤコブはスペインの涯てイベリア半島イリヤ・フラビアで弟子たちと宣教したと伝えられているが西暦40年頃、ユダヤの王アグリッパス一世によって捕らえられエルサレムに送還され、そこで断首刑とされた。
首は体と一緒に弟子テオドーロとアタナシオの2人によって舟でスペインに運ばれた。
それから800年の歳月が流れてスペインはこのイベリア半島西北端の地で偶然聖ヤコブと弟子2人の棺が発見されたのである。
碑文には「ゼベダイとサロメの息子聖ヤコブここに眠る」と書かれていたという。
レオン王ラミロ一世(Ramiro)は戦乱に明け暮れていたがある夜聖ヤコブの夢をみたそうだ。
聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)が白馬に乗り「神の名において必ずキリスト軍が勝利する」と叫びイスラム教徒軍へ突入していき、ラミロ一世は圧倒的な勝利を手にすることができたというのだ。
この戦いでサンティアゴがスペインの守護聖人とされるに至ったのである。
中世におけるスペインの世界侵略は世界の各地にサンティアゴの地名を残すに至った。 サンティアゴ・デ・キューバやチリのサンティアゴも首都である。 インカ帝国の大虐殺もそうだ。
聖ヤコブの棺が発見されたこの地も「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」という名で広く知られている聖地であり巡礼者があとをたたない。
何度か建て替えられたとはいえ、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂はヨーロッパ中から巡礼者が訪れるのである。 サンティアゴ巡礼の旅という名のツアーも人気がある。
私は不心得者で今まで何度もの誘いを受けながらもクリスチャンになれずにいる。
しかし、この小文で揚げたヨハネやヤコブが何とはなしにただ好きであり、聖書を読む。
私のアメリカ法人であるエルダースという社名も実はヤコブの手紙第5章14節に書かれている「病気で困っている人はエルダーに相談しなさい」という言葉からいただいたものだ。
ヤコブの手紙。 この短い文章をぜひ読んでみて下さい。 この文章は信仰心に溢れた筆者ヤコブが人生を生きて行くための魂の在り方を説いているものであって、私には彼が白馬の騎士となってイスラムの敵軍の真っ只中へと突っ込んでいった人とは到底想像もつかないのである。 たとえそれが夢であってもただ呆れるような妄想のように思えてならない。
妄想が大虐殺をひき起こしたのである。
かつてMITのフォレスター教授は教学的モデルを駆使して人類の繁殖率を発表した。 それは人間が抑えきれなく繁殖するという「生長の限界」というセンセーショナルなものだった。 この理論はすぐに波及した。
この増え続ける人類の恐怖について1972年デニス・ミドウ教授は「毎時間、毎日、人間は増えてやがて人間の洪水が地球を覆いつくし、人間はやがて窒息するだろう」と警告したのだった。
日本の学界にもこの手の考えを安請け合ってさも最もらしいことを言う人が多い。
しかし現実はどうか。 わずか30年先の見通しもできない無能な輩を嘲笑うかのように、一転して世界は少子化へと向かっている。 人間の知識など所詮その程度のものだ。
聖ヤコブを白馬に乗せて敵陣へ突入させたのも人間ならば、黄金を強奪するためにインカ帝国の大虐殺をやったのも人間である。
そして、今日の世界でもいまだに同じようなことが繰り返されているではないか。
これが果たして神の意志であろうか。
ノーベル賞受賞者であるパスツール研究所のジャック・モノは、その著者「偶然と必然性」の中でこう言っている。
「全能の神がなぜ戦争を起こし、血を流させるのだろうか。なぜ無邪気な子どもたちを殺害させるのだろうか。
神の名のもとに血で血を洗う戦いをくりひろげている2万種類もの宗教の存在をなぜ許しているのだろうか。
すべてが神の子といわれながら、どうして富んだ者がますます富み、貧乏人はますます貧しくなるのか。」と。
因みにこの聖ヤコブの棺が発見されたのは「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」という地名で呼ばれているし、大聖堂もその地にある。 コンポステーラとは「棺」という意味もあるというのだが、かつてこの棺が発見された時、異常に輝く星が埋葬地の上空で光り続けたという伝説から「星の導き」という意味がある、という。
「みだりに神の名を呼んではならない」と教わってきたのだけれど、いつか機会があったら私もこのサンティアゴ・デ・コンポステーラを訪れて聖ヤコブにお尋ねしたいと思う。 「あなたは白馬の騎士なのですか?」と尋ねたら、きっと「私にはすべて関わりのないことです」と聖ヤコブは答えられると思う。
(日本の写真家、滝口鉄夫氏「サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼の旅」(論創社・刊)を参考にしました。 お礼申し上げます。)