「野に咲く花のように」 (2009年1月)

01/01/2009
by Elders International

ー孤高の人に習いたいー

時間の洗礼

今年は年明け早々から例年にない騒々しさだ。襲い来る恐慌の荒しの中に立ってひとり気取ってとり済ましている心算は毛頭ないのだけれど、昨日までブッシュやイラク戦争を支えていた70パーセントや80%の支持者はどこへ行ったんだろう。ブッシュに肩入れする余りテキサス農場にまでのこのこ出掛けて行ってモックギターでラブミーテンダーを唄っていた小泉という変な人はどうしたんだろう。この正月もエルビスを聴いているのだろうか。

つい昨日まで「日本の繁栄は揺るがない」とか「日本ビジネスが世界を制覇する」みたいなことを臆面もなく評論していた日本の評論家は変り身も速くもう巧妙に当てのはずれた経済評論を避けて「オバマ大統領万才」といった国際政治評論家へと転身している醜くさだ。しかし、こうした類いが日本人の実体だ。昨日まで「最後はマケインが勝つんだ。アメリカで黒人は勝てないんだ。」と言っていた人はどうしたんだろう。そして、急にオバマはハワイ出身だからとか、バスキン・ロビンズでアルバイトしていた、とか擦りよる始末。オバマならアメリカはすぐ立直るとでも考えているのだろう。しかし、途方もない米国の赤字は億の上の兆、兆の上の京(けい)という数えきれない程の単位にまえ及んでいるという。だからそれこそ物知り顔の専門家はオバマ大統領の第一の大仕事はきっと新ドルの発行でドル1/2切下げだとか、10分の1にするとか言っている。つまりドルの値打ちを大幅に切り下げることで借金は1/2とか10分の1にするだろう、というのだ。日本が保有する600兆円のアメリカ国債もうまくいって300兆円、下手をすると殆どチャラにされてしまうのだ。しかし良いことだってある。アメリカでローンを持っている人は借金が半分になるからだ。

どうも皆んな変な人だと思うけれど、アメリカの大人の5人に1人はいまだに「天動説」を信じているというし、「進化論」を信じている人はたった26パーセントという統計があるから変な人だらけ。

大人の57パーセントしか年に1冊以上の本は読まないという。つまり半分の人は本なんか読まない。これまで100万人もの犠牲者を出したイラク人、このイラクという国がどこにあるのかアメリカ人の3分2は手で示すことができないという。つまりイラクってどこにあるのか知らないのだ。

アメリカの15才の生徒の数学力はOECD加盟29ヶ国中の24位、日本もかなり落ちこんでいるらしいが何番目か知らない。

ブッシュが退任を前にお別れのつもりか昨年暮れ急拠イラクを訪問、記者会見を開いた。

いつものKYなことを喋っていたらイラク人の記者が自分の靴を脱いでブッシュめがけて投げつけた。危なく命中するところだった。ブッシュいわく、「あの靴はサイズ10だった」と。何言ってんだろう。

「改革なくして成長なし」などと叫んで日本を破滅に導いた人。このいわば“犯罪人”が首相とか大臣だったから仕末が悪い。しかし、もっと仕末が悪いのは騙されてよろこんでいた国民だ。振込み詐欺と同じ構図だ。何が正しいのか、時間の洗礼を受けなければならないのだ。時間や時代を経て洗礼を受けてこそ真実なのだ。

悪は暴かれる

政治的にも経済的にも急速に発展していたドイツのビスマルク時代の哲学者ニーチェ(1844〜1900)は「知識階級も国家も大がかりで馬鹿げた金銭経済に足元を奪われている。この世がこれ程まで俗世であったことはなく、これ程まで愛や善意に乏しかったことはかつてなかった。」と言っている。 何だか今日の姿に生き写しではないか。

現代の米国にも、日本にも年の暮れをどうしたら越せるかと悩んでいた人にとって何の関係もないようなノーベル賞受賞者はいても、眞に“知識階級”と呼べる人はもういなくなってしまった。ニーチェのような繁栄の偽善を見抜いた哲学者もいなくなってしまった。いるのは資本のためにおべんちゃらを使う経済学者や未来学者でこの人たちの誰一人今日の恐慌を予測し警告した者はいなかった。しかし、国民の税金はいろんな名目に姿を変えて確実にこれらご用商人の懐に入っているのだ。

今となっては第二次世界大戦を肌身で体験した1人として何を想い出しても、私の経験は「悲しい」の一言に尽きる。きっと同じ経験者がいらっしゃるにちがいない。

今更、63年経ってチンピラ風の政治家や官僚や学者が登場してきてテレビでわかったようなことを言う姿は正視に耐えない。こんな輩に意見を求める各テレビやマスコミは誰かの命令で意図的に戦争責任を誤魔化して、わからなくするための方策ではないかとさえ思えてくる。多くの読者は「それは考え過ぎだ」と言うだろうが、たとえば500万口座もの社会保険の国民貯金が行方不明になってしまうということは考えられないのだが、この保険システムを考策した人が殺された人と運よく逃れた二人の役人だという。ほんとうはわからなくなるように立案したのではなったのか。わからなくなったからといって何百万通ものレターを出して問い合わせるというふりをした、このおかしな「特別便」というのは私にも届いたから他人事ではないのだ。飽くまでも仮定で推理するとして、「もし保険金を国のシステムとして大掛りに詐取する計画が初めから予定として組み込まれていたとする。そしてそのシステム作りを指揮したのが当時の課長と局長だとしたら事態は大変な国家犯罪になる。私はこれはありうることだと思っている。今日の厚生者のやり口の悪らつさを見ていてもわかる。まさに「日本は厚生省で漬れる」のである。「まさか、そんな」というだろう。しかし、最近「幕末維新の暗号」という日本のベストセラーを読んでほとほと改革だの維新だのというものは犯罪だと思った。

日本の明治維新も実はユダヤ人の先導で起こした“革命”だったという。大久保利通も伊藤博文も岩倉具視も文字通り“悪の枢軸”だったということが書かれていて今直面している世界的恐慌から逃れ出る多難を思い身が震える。

しかし、世界中で悪は暴かれる日は確実にやってくる。今、ただ盲目的に単純にアメリカの回復がオバマ大統領によって実現すると信じこんでいる人々は、彼の選んだ経済閣僚メンバーを見るといい。かつて日本を不況のどん底まで叩き落したといわれるサマーズ氏を筆頭にユダヤ系の人材で固められているからだ。オバマ氏の登場を何年も前から予想し、発表していた評論家・副島隆彦によれば『オバマ氏は経済政策に失敗して2年後に失脚し、ヒラリー・クリントン氏に交替する』という。そして、私はここにいう“2年後”という時間こそ重大な“本番”だと考えている。

この本番についてはここでは詳しく触れないが、その一端は大竹慎一氏が既に2005年に出版した著書で早くから予言していたように『日経平均4,000円の時代がくる』のである。

野に咲く花のように

写真家に北原教隆という人がいる。お目にかかったことはない。どうも“いい人”らしいのだ。ある日、友人から町中で「アッシジに行きませんか」と声をかけられ「一体アッシジって何だ」か知らなかったが「行きます」と即答してしまったというのだ。本当はそういうことってよくあるんだナァ、と私は思った。

アッシジとはイタリーの中央北部のウンブリア地方の町の名だ。そこに後に世界に知られる人となった聖フランチェスコが生れたのだった。彼の本名はジョバンニ・ディ・ベルナルドーネ(1181-1226)。だからフランチェスコは「アッシジのフランチェスコ」として知られるが、英語読みでフランシスコ。カリフォルニアのサンフランシスコも彼の名そのもの「聖フランシスコ」が付けられたものだ。彼の誕生は日本では源頼朝が鎌倉幕府を設立した時期だから800年以上も前の話だ。裕福な家庭の出身であったのに全ての財産を放棄しライ病患者に奉仕し農民と共に生きた。アッシジには生家も残っている。北原教隆はアッシジを訪れて写真集「アッシジの丘」を発刊した。そして「自分は昔アッシジに生れたんだ」という前世の悟りを体感したと書いている。私は残念ながらアッシジを知らないのだが彼の有名な詩があって私が特に心を打たれたのは「野の花のように美しく咲きなさい。人に愛を与えなさい」という彼の言葉である。

現代とは比較にならない程の強力な権力者であったローマ法王インノケンティウスすらフランチェスコにひれ伏したとされる。どんな激動の時代が来ようともフランチェスコのように超然と時代を超えて孤高に生きた人の精神が800年という“時代の洗礼”を受けて真理を立証するのだ。

だから信念を曲げず、決して動じずこの年を迎えたい。

幸いハワイの私の周りには素晴らしい人たちが多い。日本で出会う傲慢な人たちと違って60歳、70歳を過ぎても一生懸命働いている。私たちは皆淋しいのだ。皆孤独なのだ。しかし、それでもなお、そうした人たちと生きることに感謝せずにはいられない。この人たちにこそフランチェスコの言葉を贈りたい。『野の花のように美しく咲きなさい。人に愛を与えなさい。』私はクリスチャンではないのだが、この人の生きた跡にならって、超然と2009年を送りたいと思っている。

『新年おめでとう』

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