アビニヨンの橋(2008年7月)

07/01/2008
by Elders International

アビニヨンの橋

あれはもう今から35年も前、家族でヨーロッパ旅行をしたことがあった。会社の同僚のフランス人の奥さんが南仏のモンペリエ近郊の出身で「ぜひモンペリエの田舎に立ち寄ってくれ」というので、行ったのだった。モンペリエは地中海貿易の古い街で市内も迷路のように狭い道が続いていて、道の両側から突然引っ張り込まれたら、アッという間に消されてしまうような恐怖にかられた。勿論、現代はそんなことはないだろうが、日中、真昼間から歩いていて決して気分のよいものではない。現に、その時分にもパリに新婚旅行中の日本人の男女がウィンドウをのぞいて、ふと立ち寄ったブティックで新妻が仮縫いに地下の別室へ降りたきり戻らなかったという事件があったのだ。しかも、今日も未解決のままだ。
旦那の方もフランス語がわからず片言の英語でいくら訴えても店員らしい男は肩をつぼめて両手を拡げ「分からない」というだけだった。日本大使館が動いてくれたのはようやく翌日だったが、大使館員と本人の男性が再度このブティックを訪れた時は店内の様子もまったく別物だったし、店員も別人で全くとりつくしまがなかったのだった。その後、この不明となった女性はどうなったのか。

このモンペリエのような古い港街の酒場にはどう見てもこれは確かに日本人に違いないと思われる女が麻薬漬けにされ、廃人になって船乗りたちの慰み者として働かされているという話を聞いたことがある。それは丁度パリのサンドニのような、暗い街角がモンペリエにもあった。「あの辺りがそうした街の一角よ。」と教えて貰った。夜、モンペリエの古老から夕食をご馳走になり、彼が唱ってくれた古い歌がある。「アビニヨンの橋」という歌だ。「アビニヨンの橋で踊るよ、踊るよ。アビニヨンの橋で輪になって踊る。お坊さんも通る、日本人も通る、・・・・」というのだ。何、日本人?瞬間、ギョッとした。何でこんな橋を日本人が通ったんだ、と思ったからだった。しかし、驚いたのは「日本人が通った」ことばかりではなく、それは「アビニヨンの橋」という学校で教わって誰もが知っている、あのメロディーではなかったことである。何度も確かめてはみたが、「いや、このメロディーがアビニヨンの橋なんだよ。誰でも唱っているんだ。」という。そして、この古老は私の質問に対して、「日本人は刀を差して立派な服を着た少年たちだったそうだ。」という話をしてくれた。「あ、それは少年遣欧使節団に違いない。」 あの少年遣欧使がどうして、ローマから遥か遠い、このアビニヨンの橋を通ったのだろう。そして、歌にまで唱われている。不思議だ。彼等はローマ法王に謁見するためにローマのバチカンを訪問したのではなかったか。イタリアのローマとフランスのアビニヨンでは余りに方角が違う。

しかし、やがてその謎はすぐ解けた。政治的混乱によって、14世紀の中ごろから68年間もの間、法皇庁がアビニヨンに遷都していたのだ。少年使節団は今度も大変な苦労をして旅を続けたのだろう。ローマからマルセーユか、モンペリエまでは船に乗って、そこからアビニヨンまで共に約80キロぐらいの道程だったと思われるが、どの道を通ったのか知らない。いつの世も世界は遷る。往復何年もかかった旅が終ってようやく辿りついた日本はキリシタン禁制国家に変貌していたからだ。彼等の運命にも死が待ち受けていたのだ。

彼等が希望に満ちて日本を出帆したころは、織田信長を筆頭に高山右近などのキリシタン大名が誕生し、彼等の未来も洋々たるものと思われた。しかし、種子島の鉄砲伝来という事件も単なる遭難事故ではなく、それは、はっきりと日本侵略の意図をもったポルトガルやスペインの戦略であった。インカ帝国も、南米も、メキシコも、そしてアメリカもそういう目にあったように、日本にもそれはまずキリシタン宣教師を送ってキリスト教化し、次に軍隊を送って征服するという戦略である。ポルトガルやスペインは強力な王権をバックに抜群の武器、帆船を持つ大国であったが、国内的にはユダヤ人追放令をもってキリスト教に改宗しないユダヤ人の追放、処刑を発令したため、外国へ逃亡したり、ユダヤ人・コロンブスの軍隊に入って中米やアメリカ侵略、そして同じくユダヤ人のピサロによるインカへの略奪、殺戮の侵略軍として派兵されたのだった。
また、一攫千金を狙った商人も何百人、何千人といた。宣教師も多くいた。
彼等が宣教を表看板にした侵略軍の先鋒隊であったことは改宗ユダヤ人であった宣教師ザビエルの書簡集(第93)にその戦略と手法がはっきりと書き残されている。また、ザビエルの3年後に長崎に来たイエズス会の神父、ルイス・デ・ アルメイダにいたっては「火薬1樽についてむすめ50人」と交換し、主として九州の日本女性を奴隷として外国に売り、巨額の富を築いたとされる。
しかも、この「この娘狩り」に手をかしたのが、高山右近などのキリシタン大名だったことに愕然とさせられる。まるで、今日の米国のスーパーパワーに媚びる日本の政治家のようだ。

少年遣欧使節団員の書いた旅行の報告書が残っている。
「港の行く先々で日本女性がどこまで行っても目に付く。ヨーロッパ各地50万人という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所丸出しにつながれ、もてあそばれ、 インド・アフリカの国まで転売されてゆくのを正視できない。
鉄の枷をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りももともとなれど、白人文明でありながら、なぜ同じ人間を奴隷にいたす。
ポルトガル人の教会や師父が硝石と交換し、インドやアフリカの奴隷の地まで売っている」と。

希望に胸膨らませて帰国した少年遣欧使節団の4名にも死刑が待っていた。
泣き叫び売られていった日本の女たちも皆死んだという。
胸がはりさけそうな重苦しい憤怒の歴史の事実だけが深く沈殿して残っている。
私の悲しみは刀を差した少年使節団と遠く地中海、アフリカまで売られていった 女性たちがない交ぜのイメージとなって「アビニヨンの橋」に登場してきては消えてゆく。あのきびしい太陽と土埃りの道。「スュル ポン ドウアビニヨン、 オ、ニ ドンス オ、ニ ドンス アラ ジャポネーズ・・・・・」 古老のしわ枯れた歌声の中だけには日本人が踊っているのだ。

マラーノの戦場

最近ロシアを訪ねた旅行者がサンクトペテルブルグで買物をしてドル紙幣で支払おうとしたら「ドルは受取れない。EUユーロか、ロシアのルーブルにしてくれ」といわれたそうだ。

ところがこんな話はロシアばかりではないのだ。ドバイを訪ねたグループがホテルロビーで数人でコーヒーを飲んで仕事の打合わせをした。コーヒー代を支払おうとしたら「700ドルだ」というので、それは高いな、と思ったが支払ったところ「一人分700ドルだ」というので二度驚いたという。「いやならドバイの金で払って下さい。米国ドルは誰も受け取ってくれないんだ。」とのこと。馬鹿なのか、正直なのか知らないが、日本だけが1ドル108円とか、107円だとかいって毎日変動を伝えているのはどうみても操作しているとしか見えない。世界の実体経済はもうとっくに、米ドルを信用していない。

先日もサブプライムローン問題で巨額の赤字となった米国シティー・グループは急拠サウジアラビアの政府系ファンドから融資を受けて危機を免れたがその金利たるや12パーセントだという。これは殆んどサラ金だ。つまり、巨大金融機関がサラ金から金を借りたのだ。下手すると「資本主義の崩壊」という危機を惹き起こしておきながら、しかし、この国はただ巨大な軍事力を持っているという事実だけで世界を支配しようとしているのだ。しかし、どんな巨大国家でも、軍事国家でもサラ金から高利で金を借りるというのは会社だったらもう倒産である。

この倒産会社のハーバードだの、エールだのと秀才面をした青二才のMBAたちが日本の官僚や銀行を脅かし政治家をアゴで使ってきた。「アメリカ政府の日本に対する年次改革要望書」という名の「命令書」があって1994年以来毎年内々に提示されるが、国民の多くが望みもしなかった「郵政民営化」も、この命令書に従っただけの話であり、「裁判員制度」の導入もまったくアメリカの要求項目どおりなのだ。これによって日本ももうすぐアメリカ並みに「石を投げれば弁護士に当たる」といわれる程、世の中は弁護士だらけの社会に変って行くわけだ。今や日本はザビエルやアルメイダたち改宗ユダヤ人、マラーノの戦場となってしまったのだ。

日本最後の砦、後期老齢者保険

そして、今度は「後期老齢者医療保険」だ。これもアメリカからの命令に外ならない。「郵便貯金」の次の宝の山はいよいよ「保険」なのである。日本の保険といえば契約者に掛金を払わせるだけ払わせておいて本人が死んでもロクに保険金を払わないという詐欺まがいの恐ろしい会社ばっかりだから、どっちもどっちという形だが、「市場の成り行きにまかせる」とか、「市場活性化のために競争原理を導入すべき」とか言って日本の国民皆保険という優れた健康保険システムを壊し、日本市場をアメリカの保険会社の手に売り渡そうとお宝を狙って攻めているのだ。 今や、サブプライム問題を筆頭にアメリカ発の世界恐慌が起きようとしているのは、すべて彼等の間違いによることにまだ気付かない。日本は気が付かない。 マスコミも気が付かない。これでは藤原正彦のいうとおり「史上最低の国民」といわれても仕方がない。 しかし賢明な読者なら気づくだろう。今日アメリカ巨大資本を牛耳る人たちはDNAがあのザビエルであり、アルメイダなのだ。こうした宣教師と一緒になって日本の経済も歴史も秩序も文化も一樽の火薬と交換に売り渡そうとしているキリシタン大名が小泉や竹中といった政治家だ。そして、そのDNAも出自が不明だとさえいわれている。 「75才を過ぎれば何故後期なのか?」とか「後期高齢者は早く死ねというのか?」 などいう論争だけが延々と続く。日本の老齢者は行き場を失って病院に集まっているのだ。保険証があるから診察して貰おうと外来受付にやってくるのだ。 やれ睡眠不足だからとか頭が痛いといって。食べ過ぎただけで胃が重苦しい。 やれ風邪気味だ。やれ便秘だ。といった理由だけで病院を訪れられたらたまった ものではないから、75才以上の老人は泣いてもわめいても奴隷のよう縛り上げて南蛮船に押し込んで売り飛ばしてしまおうとされているのに、それでもまだ気づかない老齢者。あなたたちの選んだ国会議員という名のキリシタン大名が国会に溢れている。 すべては怠慢で過ごした何十年の責任だ。こんな愚かな国民になってしまったのは長い間の政治行政の責任が大きいが、藤原正彦のいうとおり、われわれは遂に史上最低の国民に成り下がった。 病院に行列して順番を待つ老人の半分以上は、本当は自分の知恵で、或いは正しいサプリメントで治せる症状ばかりだ。腸の調子が悪いならイオン化されたミネラル。肺や心臓だってシトルリンやグルタチオン、N―アセチルシステイン。 サプリメントについてもっと知るべきだ。 こうしたサプリメントの効果を教えるなと長い間、行政は秘密にしてきたのだ。 それは効果があるからなのだ。                (了)

今回の出典については下記に示す通りです。
ご質問のある方は下記をインターネットでお探しください。

若菜みどり 著 「クワトロ・ラガッツイ(4人の少年)」
徳富蘇峰 著 「近世日本国民史」
鬼塚英昭 著 「天皇のロザリオ」

そして、インターネットで「日本宣教論序説」をご覧になることをおすすめ します。

コメント

投稿はありません

レビューを書く